サラーリーマンを辞めて、薪ストーブを使うために家造りをはじめた「ちょっと変わり者」がもしかしたら、昨今の薪ストーブブーム(地元新潟での)を巻き起こした犯人かもしれません。
20年程前に、勤めていた会社を辞めて、薪ストーブを使うために家造りを始めました。
子供には薪割りをする姿で唯一「オヤジの力」を見せつけ、「火を焚いて暖をとる生活」を伝え、火のつけ方で「オヤジの経験の威厳」を強調し、と得意になっていました。
家族の中で大人がすること、つまり子育てを「言葉」でなく、「炎の暖かさ」と、生活そのもので教えようとしたことが事の始まりでした。
20年程前のそのころは、「今どき薪ストーブなんて…」「煙で大変だぞ」「アホか…」「時代錯誤だ…」などと呆れられていました。
周囲の呆れ顔と半信半疑にもめげず、ひたすら薪割りをし、子供に薪運びの手伝いをさせ、「この日遊びに行ったらお小遣いは半減…」と脅しながら家族愛を育みました。
「キリギリスに笑われたアリ」のごとく手間ひまかけて、効率の悪い生活が始まったのです。
いかにも「アホ」なこの「変わり者生活」に次第に人々が引き込まれ始めました。
たった一台の、さして大きくない薪ストーブで、一件の家をたっぷりと暖房してしまい、一度入れた薪は何時間でもトロトロ燃え続け、夜に入れた太い薪は朝まで火が残り、灰取りは月に一度で済み、煙は殆ど出ないなど驚く事ばかりたっだからです。
ストーブの上で作る「煮物」の味も格別で、焼き芋なんかもすぐ出来る優れものでした。
この家に訪れる人々も、ますます炎に魅せられることとなり、「自分の欲しい…」ということになったのも当然の事かもしれません。
「変わり者」は、まさかこの「子育て用教育道具」としての薪ストーブが、自分の人以外に受け入れられるとは思ってもいなかったのですが、次第に増える「紹介して欲しい…」という声に応じているうちに、いつの間にか「代理店」となり、しまいには新潟県や東北地方までの「正規代理店」になってしまいました。
しかし「変わり者」は、「世の中そのものが変わり者になってきたんだろう…」と思っています。
「薪割りにこそがオヤジの威厳の拠り所」として、今日も晩酌のつまみを夢見て働いています。
この変わり者の頑固オヤジこそが
雪国科学の社長「町屋 敦司」です。
きっと子供たちはこう思っているかもしれません…
薪ストーブ=頑固オヤジ
頑固オヤジもチェンソー片手に薪と奮闘!